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Twitterの出会い垢で消耗していました

僕は今日、Twitterの出会い垢をやめる。

 


そのアカウントは2年くらい前にゲイとの出会いと交流を目的に作ったもので、200人くらいのゲイと繋がっていた。当初はアプリで知り合った人と繋がっておくためのものだったが、友達の輪がどんどん広がっていって、Twitter上でもたくさんの人と知り合うことができた。特に、Twitterはその人の日常がわかるので、気が合う人を見つけやすく当初はとても感動していた。

 

 

そんな僕は今日、Twitterの出会い垢をやめ、仲良くしてた人は新しくInstagramで繋がることにした。なぜなら、(僕の使い方が悪いのもあるが)Twitterが作り出す環境に疲れてしまったからだ。

 

 

Twitterでは毎日数千のツイートがタイムラインに表示される。食べたもの、考えたこと、日々のちょっとした出来事全てが洪水のように流れてくる。この情報量の多さは知り合ったばかりで関係が深まってない人たちにはとても都合の良いものだ。関係が築けてないからこそ、毎日社会的に濃厚な接触を繰り返すことで親密になることができる。

しかし、セクシャリティが同じなだけの人全員と気が合うわけではない。最初は仲良くなれそうだと思っていても毎日の接触を通して相手と自分の相性が分かってくる。そうなると大抵はミュートしたりするのだが、それでもRTやいいねなどで新しいゲイがどんどん紹介されてくる。

 

 

 このTwitterの環境は、小・中学校の教室に例えることができるのではないだろうか。

 

 

クラスメートと言ってもたまたま同じクラスになっただけ。最初はただの他人だった人も、毎日会ったり話したりしているうちに、だんだんと仲良くなっていく。もちろん、気が合う人もいれば合わない人もいる。色んなクラスメートと毎日話しているうちに、気が合う人が分かってきて、友達になっていくのだ。

教室もTwitterも新しい友達を見つけることにおいてはとても良い環境だと思う。とにかくたくさんの人を集めて毎日濃厚な社会的接触を持たせる。そうしていれば友達の1人や2人は勝手にできていくのだ。

 

 

ただ、この「教室」が永遠に続くのは僕には御免だった。

 

 

まず、気が合わない人との接触が避けられないという点。RTやいいねなどで色んな人のツイートが目に入ってしまう。新しい友達を求めているならそれはメリットにもなりうるが、僕はこれ以上新しい出会いを求めていなかった。

次に、接触の頻度が多すぎると言う点。友達の情報が毎日入ってくると、気になって頻繁にスマホを手に取るようになり、自分のやりたいことができなくなって疲弊していった。典型的なSNS疲れだ。もちろん、自分でTwitterに触れる時間をコントロールできればいいのだが、僕には出来なかった。

 

 

この小・中学校の教室での友達関係から次のステップにいく必要がある。

すなわち、高校へと進学するのだ。

 

 

高校への進学と共に地元の友達と離れ離れになると、それまで毎日のように会っていた関係から数ヶ月に一度顔を合わせる程度になる。たまに会って近況報告や思い出話をしたりする。しかし毎日会わなくなったからと言って、それまで築いた関係が崩れることはない。僕にとってはこのたまに会う関係がちょうどいいのだ。

 

 

Instagramへの移行は「進学」に当たるのではないかと思う。

 

 

インスタは写真の投稿だけでなくストーリーなどもあるが、Twitterほど頻繁に投稿されるものではないし、何よりRTやいいねで他のアカウントが大量に流れてくることがない。つまり、既に仲良くなった友達と、程よい頻度で近況を確認し合うのにはちょうどいいツールなのだ。

 

仲良い友達だからこそSNSでの情報交換の頻度を減らし、日々を充実させる。その分、直接会った時に積もった話をする。Instagramへの移行によって、こんなライフスタイルに変化させられればと思う。

 

衝動

小さい頃から音楽が好きだった。特に中学生でL'Arc~en~Cielにハマったのを皮切りに、いろんな音楽を聞いてきた。

実は、その時からミュージシャンを同じ人間として見てなかった。人間を超越した存在だと思っていた。

特にラルクがファンによって神格化されていたのも影響していると思う。「僕とは違う特別な存在だからあんなすごい音楽が作れるんだ」と本気で思っていた。

 それ以降好きになるミュージシャンも大抵同じ目線で見ていた。だから、彼らを褒めるときにいう「天才だ」という表現が全然ピンとこなかった。天才って人間に使う言葉だもの。神様には言わない。

 

 

しかし、大学生でライブに足を運ぶようになって、次第にこの考えが崩れてきた。ライブで直接目にするミュージシャンは紛れもない人間だった。姿形は身の回りにいる人と相違なかった。もちろんたまにはミスもするし、MCでは「昨日食べたプリンが美味しかった」だの「休日はトイ・ストーリーを見ている」だの話している。

そんな僕と変わらない人間なのに、だ。彼らの音楽・ライブはやはり素晴らしい。

 

 

「なんてことだ。人間だったのか。」

 

 

この考えを決定づけた出来事が最近あった。 友達が作ったアルバムが本当に素晴らしかったのだ。

Twitterで音楽好きを公言していると僕と同じように音楽好きな「人間」と繋がることがよくある。こうして知り合った友達が、自作のアルバムをストリーミング配信したことを教えてくれた。

その時点でもう驚きなのだが、曲を聴いて絶句した。

それからというもの、これまでの曲を聴いても全く異なる印象を持つようになった。本当に、心からミュージシャンのすごさを実感するようになった。

 

 

「こんなことを僕と同じ人間がやってるなんて!!」

 

 

今では毎日感動しっぱなしである。音楽だけでなく、ラジオ、テレビ、映画、写真、服など見たり聞いたり着たりするたびに、それに携わるクリエイターに感動と尊敬の念を抱かずにはいられない 。 

最近、世界が一段と面白くなってきた。みんなすんげぇな。

僕も頑張るよ。ありがとう、音楽をくれた友達。

 

 

母とおうちですごそう

昨年の夏頃から母親の調子がおかしい。持病だった鬱がどんどんひどくなり始めたのだ。

 

 

僕が年少の頃まで母は会社員としてバリバリ働いていた。しかし、慣れない日本*1で2人の息子を育てながら家事と仕事を両立するのはキツかったらしく、鬱になり仕事をやめた。

それからはずっと専業主婦として家事を全部やってくれていた。会社を辞めてからは鬱も随分良くなり、みんなすっかり安心していた。

 

  

ところが今年の夏、急に悪くなってきた。とっさに発狂したり、ものを投げたり、うずくまって泣き出したりするようになった。

 

 

この理由は、おそらく、生きる目的を失ってしまったことである。

母は会社を辞めてからこれまで、異国の地である日本において息子2人を立派に育て上げることだけが生きる目的だったそうだ。

僕も兄も大学院生。僕は来年から就職で家を出る。兄は博士課程なのでしばらく学生だが、大学の近くに下宿しようと計画していた。僕はその前の秋に母にカミングアウトした。兄も彼女ができたことを打ち明けたらしい。

 

 

これらのことが重なって、自分の子育てはもう終わり、すなわち、自分の生きる意味はもうないと思ってしまったのであろう。

さらにこのストレスが原因か胃腸が悪くなり、ご飯があまり食べられなくなって、体重が10kgも落ち痩せ細ってしまった。

 

 

先月末、母は寝転がっていたソファから落ち、脚を折ってしまった。普通ならそんな落ち方はしないが、筋肉が衰えていたため起こってしまったらしい。

こうして1ヶ月の松葉杖生活がスタートした。

 

 

ただでさえ精神がやられて生きる意味を見失っている母が、体まで不自由になってしまった。家事は僕と父がやるようになった。家事をすることで生きてきた母に、さらに追い討ちをかけてしまっているのが辛かった。

ひとまず松葉杖が取れるまで、家事と母の精神のサポートに家に一人はいないといけない。父は仕事、僕は就活と普通ならそれが難しいが、幸か不幸か、例の感染症のせいで就活が在宅で済んでしまう状況になっている。

 

 

そんなわけで、最近は家で家事と母のサポートをしながら就活を進めている。暇なときは二人で映画やドラマを見ている。「翔んで埼玉」、「ぶどうのなみだ」、「時計仕掛けのオレンジ」、そして今日は「電車男」を見た。本当に、とても幸せな時間が流れている。「コロナありがとう」なんて言えないが、コロナが家族と過ごす時間の大切さを教えてくれている気がする。

 

 

母とこの家で、この街で過ごすのもあと1年。今年、街の名物の桜を母と見ることができないのは寂しいが、来年こそ自分が家を出る時には一緒に花見をしたい。

それが母にとっても、ひとまずの生きる目的になってくれたらと思う。

 

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地元の名物の桜並木


 

*1:母は中国生まれ

はじめまして

これが人生で4つ目となるブログだ。

 

1つ目と2つ目はそれぞれ小学生、中学生のころ。ガンプラにハマってそれを記事にしていた。当時ガンプラブログが流行ってて、特にAmebaを中心にコミュニティができていた。

  

3つ目は1年半くらい前に始めたもの。ゲイを自覚して悩んできた僕がそれを解決してきた方法を自信たっぷりに語った。

 

ドメインを取って、サーバーを借りて、15000円もするテーマも買って頑張って書いていた。その甲斐あって、割と多くの人に見てもらえてとても嬉しかった。ブログに救われたってお便りもたくさん届いた。

 

なんでこんなブログを書いていたのかって言うと、僕はブログに人生を救われてその恩返しがしたかったから。ゲイを自覚して悩んで悩んで自分に自信がなかった僕は、ある2つのブログをきっかけにある程度自己肯定できるようになった。

 

ただ、ゲイの悩みを解決してくれるブログはなかった。だから僕は自力で試行錯誤しながら、なんとか自分のセクシャリティを受け入れることができた。その経験が同じように悩んでいる人の役に立てばいいなってこの3つ目ブログを始めた。

 

そのため日記的ではなく、断定口調で自分の経験のみに基づいて指南を書いた。かなり偏った見方となっていることは自覚していたが、悩んでいる人にそれを解決するための行動を促すためにはそれくらいがちょうどいいと思ったからだ。

 

そして4つ目のこのブログ。これはそんな断定口調にも嫌気がさしてきて、ほんわかと思ったことを書きたいと言う欲求からなるものだ。アプリやツイッターで様々なゲイと出会ってきた。これまでは会ったことも無いようなタイプの人がたくさんいた。その経験を通して、世の中に確かなことなんてほっとんど無いんじゃないかって思った。これはこれ、あれはあれと断定するのが嫌になってきた。

 

要するにこれから雑多なブログを書いていきますよっていうお話でした。

 

以上。

 

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1つ目のブログ 芝生のガンプラ日記 序章

2つ目のブログ Shibahuな日々 #2

3つ目のブログ soki's blog | ゲイの名大生 Twitter soki (@soki_blog) | Twitter

 

ブログとは別にPodcastネットラジオ)もやっているよっていう宣伝

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